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2007年2月3日土曜日

チェルシーホテル






ここはニューヨークのグリニッジビレッジ近くのかの有名な「チェルシーホテル」(撮影:新井田真美)です。
宿泊客の8割~9割が芸術家(それもかなりの前衛)という超レアなというか、カルトなホテルです。

床石は、おそらくタソスホワイト、ボーダー状に赤みがかったロッソベロナが張ってあります。タソスホワイトは非常に柔らかいため、石が磨り減って微妙に波打っているのが
写真でも分かります。メンテナンスは、アメリカお決まりのケミカル反応によるツヤ出しだと思われます。
(日本製の#8000のダイヤで磨きまくりたい!!)

壁にかかっている絵画の統一感のなさがシビれ(笑え?)ます。
さすが、チェルシーホテルです。
しかし、何と言ってもチェルシーホテルと言えば、個人的には、ボブ・ディランが一番才気走っていた60年代に出した名盤「ブロンドオンブロンド」が思い出されます。
当時このアルバムは、世界初の2枚組みLPということでも有名になりましたが、私は未だ中1か中2位で、そのアルバムが欲しくて欲しくて、何度もレコード店に足を運んだのですが、値段が高すぎて(当時で4,500円もしていた!)どうしても買うことができませんでした。そのアルバムのD面に1曲のみ入っている、20数分以上にも及ぶ「ローランドの悲しい目の乙女」を一晩でボブ・ディランが一気に書き上げたホテルという感慨が強いです。この曲は、後に妻となったサラ(80年代には離婚した)に捧げた曲です。
ボブ・ディランは声がだみ声だし、念仏みたいに歌うので毛嫌いする人(私の妻も含め)が多いのが残念ですが、歌詞のうまさは本当に惚れ惚れします。
ボブ・ディランの本名はロバート・ジンママンというジンマシンのようなさえない名前ですが、ディランという芸名は、実はチェルシーホテルで亡くなったイギリスの詩人、ディラン・トーマスからパクっています。

どうしてここまでボブ・ディランのことを詳しく知っているのかというと、私は10代~20代にかけ一時期ディランにはまりまくっていた時期があり、ボブ・ディランの日本初公演のコンサートの電話予約開始初日に、朝から電話の前に座り電話をかけまくったという、今思えばまさに「おっかけ」でした。